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*AriaLien Sub BLOG*

甘やかな刻印

甘やかな刻印 1話




──私の人生はたったひとりの男(ヒト)によって狂わされた



「あれ、幾田?」
「!」
「じゃなかった、えーっと…確か…」
「……幾田」
「え」
「幾田で、いいの」
「…」

(まさか…こんな処で彼と逢うとは思いもしなかった)

この腹が立つほどに忌々しい縁は何だろうと神様を呪いたくなった。


声を掛けられた昔懐かしい彼からの「何処かで話さない?」という言葉を受け、私たちは道すがらにあった喫茶店に入った。

彼が「アメリカンコーヒー」と注文したのを訊いて「あぁ、やっぱりね」と私が笑ったのを少し怪訝そうな顔して見た彼の表情にドキッとした。

(お、落ち着け、私~~)

気を取り直して私も運ばれて来たミルクティーに口をつけた。

「ハローワークにいたって事は職探ししていたって事?」

彼が徐に話し始めた。

「其れ以外に何があるって──というか衛藤こそなんであそこに…って、まさか市役所辞めたの?」
「まさか。俺は頼まれた書類を届けに行っただけ。役所仕事はデスクワークだけじゃないって知ってるでしょ」
「まぁ、そうだよね。衛藤が市役所辞めるとか全然考えられないし」
「君の中での俺のイメージはどんなだよ」
「…」

(イメージだなんてそんなの昔から変わってないよ!)

いっそ口に出して云いたかったけれどグッと堪えた。

しかし…

(あぁ…なんという運命の悪戯!)

逢いたい時には逢えない。

逢いたくない時には逢ってしまう──という何かの法則の如く、まさか其れを其のまま体感しているだなんて。

(…)

私は目の前に座っている彼の顔を俯き加減で見つめた。

(…本当、全然変わっていないなぁ)

其れを心の奥底では少し嬉しくも、哀しくも感じた。


私、幾田 史恵(イクタ フミエ)30歳。

二年程前まで市役所に勤めていた。

目の前に座っている彼、衛藤 貴哉(エトウ タカヤ)とは同期であり友人でありそして──


「しかし幾田、いつこっちに?確か結婚を機に旦那の実家に越したって訊いていたけど」
「……」
「転勤か何かでこっちに戻って来たの?」
「……」
「そう云えば旦那ってどんな人?俺結局一度も会った事も見た事もなかったんだけど」
「……」
「おい?幾田、どうし──」
「離婚した」
「…え」
「私、離婚、したの!」
「……」

私の言葉に彼は一瞬無表情になって、そしてじわじわと申し訳なさそうな表情を作った。

「な、何よ、其の顔」
「あ…いや、すまない。いくら知らなかったとはいえ色々余計な事を云ったなと」
「…別に…いいわよ。離婚してもうすぐ一年になるし」
「えっ、其れって…え、あれ?結婚したのって…二年前じゃ」
「だから一年に少し満たないくらいで離婚したの」
「……」

彼の表情からは何が云いたいのか解り過ぎる程に解って居た堪れなくなった。

だって其れは他の人からも散々投げ掛けられた言葉だったから。

『なんでそんな短い期間で離婚なんて』

『何が原因で別れたの』

『子どもが出来なかったから別れたの?』

(……)

訊かれる事はみんな揃って同じ事ばかり。

其れにいちいち答えるのにはもう厭き厭きしていた。

──だけど

「あの…衛藤」
「そっか、独身返り咲きおめでとう」
「!」
「あぁ、おめでとうって言葉も不謹慎か。すまん、言葉が悪くて」
「……」
「え、おい」
「…ふっ…ぅえ…」
「おい、幾田っ」

私は自然と流れた涙を拭う事なく必死に声を殺して泣いた。

離婚して『おめでとう』なんて言葉をもらった事なんてない。

大体この場で使うには相応しくない言葉だ。

(でも…でもでも…)

例え私の離婚原因がこの目の前でわたわたしている彼にあったとしても、彼からもらった『おめでとう』の言葉はやけに重く、そして清々しく胸の奥底に突き刺さったのだった。


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甘やかな刻印 2話



新卒で行政事務職に就いた私が初めて衛藤と顔を合わせたのは市役所の入所式の時だった。

最初の衛藤の印象は、暗い男──だった。

積極的に人と関わるという感じではなく、大勢の中に居ても何処か一歩引いている様な印象を受けた。

そんな彼だったから私は特に気にもしなかったし、必要最低限の事しか話す事はなかった。

だけどそんな月日の中のある日、私は目撃してしまう。

衛藤が告白されている場面を。

たまたま通りがかった人気のない階段ホールで話している衛藤と見た事が無い女性。

訊くつもりはなかったけれど結果的には私は立ち聞きするという流れになってしまった。

聞こえた話から察するに、どうやら窓口で見かけた衛藤に一目惚れして機会を窺い告白をしている──という状況らしい。

こんな状況に持って行って告白するという其の女性の勇気に驚くと共に、私は衛藤が女性に発した答えにとても驚いてしまった。

『自分は女性を好きにはなりません。あなたが交際の末に結婚を夢見るなら尚更です』

云われた女性は何度も食い下がるけれど、其の度に衛藤の返事は頑なになって行き、最終的には

『其処まで熱心に口説いてくださるなら肉体関係だけのお付き合いならしてもいいですよ』

なんてとんでもない事を云った。

この発言には流石の女性も辟易したのかやっと諦めて退散して行った。

この後、直ぐに私が立ち聞きをしている事に気が付いた衛藤は『見苦しいものをお見せました、すみません』と淡々と述べて去って行った。

そんな件があってから私の中での衛藤はおかしな位置に鎮座する人物になった。

顔を合わせると挨拶する様になり、歓迎会やリクリエーション大会などの行事で話をする様になってからはあっという間に友人のひとりとなっていた。

彼は恋愛という要素を含まない付き合いをする分にはいい友人だった。

真面目でマメで優しくて誰もが彼の程よい距離感の付き合いを好ましく思っていた。


──ただ其処に恋愛を匂わせると途端に彼の評判はよくないものになるのだけれど


どうして彼はそんなにも恋愛に対して嫌悪感を抱いているのか?

モテるくせに何故特定の彼女を作らないのだろう?

ひょっとしてゲイなのでは?

なんて彼にまつわる密かな噂は私たち女子職員の中では常に真しやかに囁かれた。

だけど当の本人の衛藤はそんな噂をまったく介しない様子でいつも飄々としていた。

ただ中には衛藤と体だけの関係を持っているという人もいた。

噂話として其の話を訊くと何故か私の心は痛んだ。


ゲイではない。

普通に女性とセックスが出来る。

だけど決して恋愛関係にはならない男。


そんな不思議な信念を持つ衛藤の事が私は知らず知らずのうちに気になる様になり、ある日突然(私は衛藤の事が好きなんだ)と気が付いたのだった。




「其れで?今は実家に戻っているのか?」
「あー今はね…ひとりで住んでいるの。ウィクリーマンションっていうの?仕事が見つかるまでは其処に」
「実家、帰らないの?」
「帰り辛い…かな。こんなに早くに離婚して出戻って来られたら実家も迷惑かなって。近所の目もあるだろうし」
「…」
「まぁ、独身の時や主婦時代のへそくりなんかで多少の貯金は残っているから。当分は其れでなんとか食い繋いで行こうと」
「仕事、見つかりそう?」
「どうかなぁ…中々難しいみたい。条件を絞ると求人自体が少なくて」
「…そうか」
「…」

衛藤は短い質問で私の近況を探っているみたいだ。

(衛藤は…どうなんだろう)

私はカップに口をつけながら考える。

私の事なんかよりも衛藤の事が知りたいと。

そして視線は自然と彼の左手薬指を捉える。

(指輪していない…って事はまだ結婚はしていない?)

私の知っている衛藤なら当然結婚はしていないだろうと思うけれど、私の知らない衛藤が二年あるのだ。

何か心境や周辺に変化があって結婚しているんじゃないかと勘繰らずにはいられない。


ピロンピロ~ン♪


喫茶店に飾られている仕掛け時計が15時を知らせるメロディーで我に返った。

「あ…ごめん、結構話し込んじゃったね。衛藤仕事中でしょう?」
「あぁ」
「じゃあ──」

私がテーブルに置かれていたレシートを手に立ち上がると、其の手に衛藤の掌が乗せられた。

(!)

「いいよ、此処は俺が払う」
「そんな、いいよ。これぐらいご馳走させてよ」
「俺から誘ったんだ。いいから」
「あ」

私からレシートを奪った衛藤は其のまま会計に向かってしまった。

(本当…相変わらずだなぁ)

衛藤は昔から女性からお金を取る事はしなかった。

其れは私だけに限らず、他の子にも同様にしていた事だ。

こんなちいさな事でもいちいち胸をときめかす私が厭だった。

(もう…)


衛藤の事を忘れるつもりで結婚したというのに。

好きだからこそ好きになってもらえない事に我慢出来ずに、逃げる様に結婚相談所で相手を見つけてサッサと結婚した。

衛藤よりも好きになれると思って結婚したはずだったのに…

そんな浅はかな覚悟はあっという間に崩れる事になった。



──そう、離婚原因は私が衛藤を忘れられなかったという最低最悪のものだった



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甘やかな刻印 3話



「よかったら家に来ないか」
「──え」

喫茶店を出た私たち。

少し名残惜しさを感じながらも別れの挨拶をしようとした私に彼は云った。

「仕事が見つかるまで家にいればいい。そうしたら住居費は節約出来るだろう?」
「…何…云ってるの?衛藤」
「何って人助けの話だけど」
「人助けって…べ、別に衛藤と私は」
「来るの?来ないの?」
「!」

(なんでそうやって結論を急がせるのよ!)

いきなりされた突拍子もない提案に冷静に考える余裕がない。

「グダグダ考えても結局答えはどちらかひとつだ。幾田がどうしたいか、直ぐに答え、出るだろう?」
「~~い、いつになるか…解らないわよ」
「…」
「仕事がいつ見つかるか…解らないわよ」
「そりゃそうだ。だから見つかるまでいればいいと云っている」
「…」

どうして衛藤がこんな事を云ってくれたのか理解に苦しむけれど…

(きっと本当にただの人助けの感覚なんだろうな)

そう思うとモヤッとしたけれど、でも其れ以上に私の心は高鳴っていた。

これで最後──だと思っていた再会の余韻をまだ味わっていてもいいのだと猶予を与えられた事に私は喜びを感じていた。

「どっち」
「お、お世話になります!」
「ん、じゃあ役所が終わるまで一旦解散。今夜からおいでよ」
「…解った」

其れから私たちは連絡先の交換をして其処で一度別れた。



足早に帰って来た部屋で私は早速荷造りをしていた。

(どうしていきなりこんな展開にぃ~~?!)

棚からぼたもちの様な急展開が未だに信じられなかった。


離婚して此方に戻って来た時、真っ先に住む処に困って慌てて契約したウィークリーマンション。

仕事を探して就職してからちゃんとした処に定住しようと、其れまでの短期間お世話になるはずだったのが気が付けば更新を重ねてもうじき一年になろうとしていた。

思ったよりもお金がかかり、勿論当座の貯金では賄えないと知れば短期間のアルバイトを集中的にこなした。

でも30でアルバイトはキツいものがあった。

年齢的にも体力的にも。

定職でないという事は将来の不安が常に付きまとう事になる。

離婚した私はひとりで生きて行かなくてはいけないのだから──と心に強く思っていても、思い通りにならない事に焦燥を感じ、虚しくなり泣きたくなる。

いつか新しい人を見つけて恋をして結婚する事があるかも知れない。

だけど其れは今ではない。

今はまだ…

私の中に消えないままの刻印があるから新しく恋をするなんて無理なのだ──




「幾田」
「あっ」

待ち合わせに指定されていたのは懐かしい駅前だった。

ちいさな噴水のある駅前で、結婚前私は電車通勤ではなかったけれど其の噴水見たさに何度か通った事があった。

「荷物、其れだけ?」

駆け寄って来た衛藤は私の持っている鞄とキャリーバッグに目を留めた。

「とりあえずは。少し大きな物は明日トランクルームを探して──」
「いいよ、荷物全部運びなよ」
「え」
「丁度明日休みだし、軽トラ借りて家に運ぶよ」
「え…えっ…衛藤、其れはいくら何でも」
「大きな物といったって家具類は大してないんだろう?」
「そう…だけど」

(全部って…でも其れじゃあ本格的に居座る事になるんじゃ)

「荷物置いていたら住んでる部屋、解約出来ないじゃないか。しかもトランクルームって…そんなの借りたら其れこそ本末転倒だろう?」
「其れはそうだけど、でも賃料よりはうんと安く済んで随分節約に──」
「だから節約出来る分は徹底的にしろといっている」
「…」

私は衛藤の言葉に軽く頭を縦に振る事しか出来なかった。

なんて返したらいいのか解らなかった。

衛藤の言葉はとても嬉しいけれど、だけど其れはどういった意味で云っているのか解らなくて…

「行くよ」
「…ねぇ」
「何」
「見返りは…何?」
「え」

私は俯いていた顔を上げ、真っ直ぐに衛藤を見て訊いた。

「衛藤がなんのメリットもなくこんな事をしないよね?此処までしてくれるほど私と衛藤、仲良かった訳じゃないし」
「…」
「単なる昔馴染みの同僚にする人助けにしては度を越していると思うの」
「…」
「そういう処、ハッキリしておきたいの、私」
「…」

其の言葉は私の賭けだった。

この私の問いに衛藤がどう答えるのか。

其の返答次第で私は衛藤の好意を受け入れるか否か決めようと思ったのだった。

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甘やかな刻印 4話



ずっと好きだった。

好きだったけれど、彼が私の気持ちに応えてくれる日は来ないと知った。

あの日

あの夜の出来事で。


不毛な恋だ。

早く忘れなくては。


早く…


早く……


もう彼から離れられなくなるほどに心を支配される前に──!




「ねぇ、どうして?」
「…」
「見返りは何?」
「見返りは…体、かな」
「!」

(え…?!今…なんと)

「家に住まわせる条件としては俺の夜の相手をお願いしたいかな」
「なっ!」
「独り身というのはこういう処が不便だよな。最近はめっきり相手にしてくれる奇特な女性がいなくてね」
「な…っ、なっ…っ」
「幾田だってそうじゃないの?離婚して一年だろう?どうしてるの、其の辺」
「~~~ば…馬鹿にしないで!」
「…」

私は人目もはばからず大きな声で叫んだ。

「そ、そんなの…ば、売春と同じじゃない!家に置く代わりに体を強要するなんてっ」
「ギブアンドテイクの基本じゃないかな」
「どの口が云うの!あんたまだそんな風に考えているの?!変わっていないのね、ちっとも」
「…」
「他の女とはそういう事が成立するかも知れないんだろうけど、私は違うから!そんな…住まわせてもらう代わりにか、体をって…考えられない!」
「じゃあ金銭を要求すれば納得するのか?」
「だから!其れだったら私が衛藤の家に住む理由にならないでしょう?!元々はあんたが云い出した事じゃない、節約のために家に住めって!」
「だからそう云っているだろう」
「えっ」

少し声のトーンが低くなった衛藤はため息をひとつついた。

「体と引き換えにというのは冗談だ。というか見返りは何とかいきなり訊くなよ」
「…」
「俺は純粋にそうしたいから持ち掛けたんだ。其処に見返りだの打算だの、そういうあくどい考えはなかった」
「…衛藤」
「改めて考えるとおかしな話だけど…幾田が離婚して、実家に帰れないって訊いた瞬間、何とかしてやりたいと思ったんだ」
「…」
「俺で助けになれる事があれば助けたいと──ただ其れだけの事なんだ」
「…」

静かなトーンだったけれど、衛藤から発せられた其の言葉には得体のしれない熱が宿っていて、其のひと言ひと言が私の胸にポッポッと熱を移して行った。

「だから何も考えずに世話になればいい──昔の君はもう少し能天気で図々しかったぞ」
「~~の、能天気じゃないわよっ!図々しくもないわよ!私だって色々考えていて…!」
「解っている」
「え」
「君は色々考えて行動に移してそして──俺の元からいなくなったんだよな」
「…」

(何…今の)

「さぁ、さっさと行くぞ。電車に乗り遅れる」
「…ぁ、うん」

衛藤が最後に放った言葉がやけに深く心に突き刺さった。

(あれは…どういう意味?)

言葉の意味を訊きたかったけれど、何故か訊いてはいけないような…

そんな雰囲気になってしまって結局私は何も解らないまま衛藤の後をついて行った。



──そんな訳で私は衛藤の家に居候する事になったのだった



衛藤の部屋は此処はモデルルームか!と思う程に無駄のない小奇麗な空間だった。

元々マメな男だと思っていたけれど、其れは家事全般にもいえた事だった。

「おい、其れは資源ゴミだ。其処は不燃物のゴミ箱だ」
「資源と不燃物の区別って何処」
「…仮にも主婦だったんだろう?!ゴミの仕分け位出来ないのかっ」
「だって向こうじゃまとめて出していたから」
「今時そんな地域があるか!」
「あるんだよ、田舎じゃまとめてポイッて」

私の知らなかった衛藤の素顔がどんどん増えて行った。

「なんだよ其の包丁さばき」
「だって…魚、下ろした事ない」
「はぁ?仮にも主婦だったんだろう?!魚が下せないって、じゃあ何食べていたんだよ」
「今は処理済みの魚がちゃんと売っているの!そういうので充分でしょう?!」
「そんなの手間賃かかって割高だろう、魚のまんまの方が絶対的に安い」
「…」

彼の主婦顔負けの家事能力の高さに散々へこまされる。

だけど一緒に住む様になってから気が付いた事が沢山あった。

其れは時には歓心だったり幻滅だったり…


だけど私の中の萎みかけていた小さな花は、彼から注がれる数々の仕草や言葉を得る度に大きく育って行っている様な気がしたのだった。


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甘やかな刻印 5話



衛藤の家に居付く様になってから一週間が経っていた。


「はぁ…」
「なんだ、今日もダメだったのか」
「…うん」

私の職探しは続いていた。

だけど自分が希望する職種と条件がズレていて、中々これというものに出会えていなかった。

「まぁじっくり探せばいい。焦って妥協して就職しても続かなかったら本末転倒だからな」
「…そうだね」

30女が再就職するのがこんなに大変だとは思わなかった。

ただ条件を甘くすれば見つかる事もある。

でも其れら多くは自分が一生涯を掛けてまでやり遂げたいと思う職ではないものばかりだった。

(衛藤はそう云うけれど…やっぱりあんまりのんびり構えてもいられないよね)

家賃や光熱費などの生活費が大幅に節約出来ているとはいえ、持ち合わせの貯金は減る一方だ。

このままズルズルと彼の優しさに甘えていてはいけないと重々承知している。


(…っていうかさ)

ふとソファに座って雑誌を読んでいる彼に視線を這わせた。

(本当に……何もないんだね)

ひとつ屋根の下で過ごす事一週間。

其の間、彼が私に手を出す事は一度もなかった。

(まぁ…そういう事、なんだろうけど)

何もない日々が過ぎる度に彼は本当にただの親切心から私を此処に置いてくれているのだと思い知る。

其れでいい。

其れが当たり前──だと思っているのに…

(なんでこんなに苦しいのかな)

はぁとため息を吐きながら私は洗面所に向かった。




「…あぁ…この肉がぁ」

お風呂に入るために脱衣所で服を脱ぎ、鏡の前でジッと体の線を見ていた。

ウエストラインの肉をぷにっとつまんではまたため息が出る。

主婦だった頃の運動不足が祟って結婚前よりも5キロほど体重は増えた。

離婚のために発生した心労で増えた分の体重はなくなったけれど、やっぱり微妙に増えた分の余韻が体に残っている様に思えた。

(また短期のバイト探そうかな)

就職活動の合間に資金調達目的でこなして来た短期のバイト。

体を動かすからダイエットにもなるしお金も貰えるという事で一石二鳥なのだけれど、下手したらちゃんとした就職をしなくてもこうやってずっとバイトしていればいいかなという気持ちになる事が怖かった。

(バイトじゃ駄目だ…ひとりで生きて行くにはちゃんとした生活の保障がある正社員に──)

鏡の前でそんな事を考えていると

ガチャ

「!」

鏡越しに衛藤と目が合った。

「あっ、悪い。風呂に入ろうと思って──」
「………」

一瞬にして頭が真っ白になった。

ぼんやりとしている頭の中に衛藤の視線だけが真っ直ぐに突き刺さった。

「…先に入るなら入るとひと言声を掛けろ」
「…」
「てっきり部屋に行っているとばかり思っていて…だから」
「…」

衛藤の声は段々小さくなって行った。

だけど決して視線は私の体から放される事が無くて

「…幾田」
「み……見ないで!」

思考とは別の言葉が呟く様に私の口から発せられた。

「見ないでって、今更だよ──もう見たよ」
「…見ない、で」
「だから見たって」
「~~~」
「──もう、遅いんだよ」
「!」

いきなり脱衣所に足を踏み入れた衛藤は私の腕を取り、其のまま抱きしめた。

「俺の前で裸を晒すとか」
「さ、晒してない、衛藤が勝手に扉を開けて…」
「こんな事してどうなるか──解っているんだろうな」
「わか、解らないよっ」

ギュッと抱きしめられながら耳元で囁かれる。

間近で感じた衛藤の切ない声や仄かに香る匂いや腕の力強さが私の気持ちを過去に引き戻す。

「あの日…あの夜の事…覚えているか」
「!」
「あれは君にとっては…何でもない事だったか」
「…」
「だよな──だから君は俺の元から」
「違うよ!」
「!」

抱きしめられていた腕の力が緩んだ気がした。

「覚えているに決まっているでしょう!」
「…」
「何でもない事じゃなかったから…私は衛藤の前から去ったんでしょう!」
「…幾田」


私が叫んだ本音が私と衛藤の関係を変えて行った──


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Author

樹野 花葉

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