其の日が私の運命の日になるなんて全然思いもしなかった──


「こら!十和子、いい加減にしなさい!」
「やだやだやだ!本当~~に厭だぁぁぁぁぁぁー!!」

しがみついた柱は細過ぎてじわじわと指が滑って行きもうすぐにでも放れそうだった。

「どうしてそんなに厭がるのよ!あんた、ちょっと前まではすっごくノリノリだったじゃない」
「だって…だって…いざとなったら何かおかしくない?って思っちゃったんだもん!」
「…」
「お母さんこそなんでそんなに必死なのよ!やっぱりお金の誘惑に負けたの?!」
「十和子!」
「!」

いつもは出さない真剣な恫喝にビクッと体が撓った。

恐る恐る母の方を見ると何ともいえない表情を浮かべて私を見ていた。

「…十和子、其処に座りなさい」
「…」

こうなった時の母はいつものように軽口を叩く事が出来ないと娘ながらに解っているので素直に従った。

「──まずは、これだけはハッキリと云っておくわね。お母さんはお金をどんなに積まれたって可愛いひとり娘を売ったりしません」
「…はい」
「十和子が幸せになる事だけを一番に考えてお母さんは今まで十和子を育てて来ました」
「…はい」
「だからお母さんは十和子が不幸になる事を無理矢理強行する事はありません」
「……」
「最後、返事は?」
「…あの…其処、解らないんだけど」
「何処」
「私が不幸になる事を無理矢理強行しないって処。だって今まさに私が不幸になりそうな事を強行しようとしているんですけど」
「不幸にはなりません」
「なんで其処まできっぱり云えるの?!だって…そんな逢った事も喋った事もない人とお見合いさせられて結婚させられるだなんて!」
「あら、逢った事あるわよ。喋った事もあるわよ。其れにお見合いじゃなくてもう婚約者同士なの」
「! だからそんなの私がまだ赤ん坊の頃の話でしょう?!お母さんと相手の…よく知りもしない家との間で勝手に決められた!」
「とてもよく知っているわよ──五條さんはお母さんと十和子の恩人なんだから」
「…」

思わず頭を抱えた。

母はまるで悪徳宗教に洗脳されているかのような妄執に憑りつかれている。


私は母の語る昔話をずっと訊かされて生きて来た。

私が乳飲み子だった頃、病気で夫を亡くした母は生きる事に絶望して私を道連れに自殺しようとしていた。

橋の欄干に手を掛け身を乗り出した瞬間、其の体はひとりの男性によって支えられた。

『自ら命を失くそうとしては行けません。見えないかも知れませんがあなたの愛する人も必死になってあなたを止めていますよ』

男性の言葉に泣き崩れた母は男性に身の上話を訊かせた。

其の結果、男性は己が身を置く環境を話し、そして母に生きる意味と義務を与えた。

『あなたの抱えている娘さんはいずれ私たち一族に大きな繁栄をもたらすでしょう。是非私の息子の伴侶として迎えたい。其の時が来るまであなたは娘さんを慈しみ育てる義務があるのです』

母は其の言葉によって絶望の淵から這い上がり、以後其の男性の庇護の元私を育てて来た──という昔話。


(確かに其の男性…五條さんっていう人がいなかったら私は今生きていられたかどうか解らないけどさ)

だけど、だからといって娘の結婚相手をそんな簡単な事で決めていい訳?!

(いや、よくない!いい訳がない!)

ちいさい頃から母に訊かされて来た呪文のような言葉。

『いい?十和子には素敵な婚約者がいるの。だから其の人に相応しい女性にならなくては駄目よ』

そんな言葉にうっとりしていたのは精々中学生までだ。

高校生になってからそんな話はなんかおかしくないか?と思う様になった。

周りの友だちが恋バナをする度に、私には其処に雑じれる様な恋愛話が何ひとつないのだ。

一度親の決めた婚約者がいる──なんて話をしたら滅茶苦茶笑われてしまった。

しかも相手が30過ぎのおじさんだと知ると其れは益々おかしな話として捉えられてしまった。

あり得ない、漫画の中の話、気持ち悪いよ等々。

今日日の女子高生にとって、親の決めた年上の相手との結婚なんて恋愛はあり得ないのだ。


「ね、解った?だから早く支度をして──」
「だから…厭だって云ってるじゃん!」
「…」
「そんなよく知りもしない人との結婚なんて…そんなの幸せだなんて思う訳がないっ」
「…十和子」
「やだ!」

拗ねて体育座りした私は母に背を向けて俯いた。

お互い無言になった時間が数十秒。

「──解ったわ、十和子の気持ち」
「…え」

母のため息混じりの言葉に素早く反応した私は固まっていた体を解いた。

「十和子がどうしても尊臣さんと結婚するのが厭だというなら…お母さんからお断りの話をするわ」
「お、お母さん…」

(嘘!あんなに頑なだったのに)

私の心からの思いが通じたのだと歓喜の気持ちに包まれる。

「だけど、今日の顔合わせには出て頂戴。其処で尊臣さんとお話して、どうしても駄目って事になったら──話は其れからよ」
「……ぅ、うん…解った」

(やっぱり今日の顔合わせには出なきゃいけないのか)

本当なら其処から拒否したかったのだけれど、これ以上駄々を捏ねても無理なようなので妥協する事にした。


──そんな訳で私はこの日、初めて【婚約者】という人と逢う事になったのだった

wu150
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