宇都宮智広はまるでサイレントキラーだ。

本来は医学用語でもある<静かなる殺し屋>という意味を持つサイレントキラーという言葉だけれど、静流にとってはまさに宇都宮智広は静かに心を蝕んで行く病原体其のものだった。

傍にいればいる程に其の存在は見えにくく、気が付いた時は手遅れになる。

厄介な事に其の病原体は甘美な快楽と痛みをもたらす、麻薬の様な中毒性があった。

其処から如何に抜け出す事が出来るかどうかで生き死にが変わって来る。

遠く離れてしまえば其れ以上心を蝕まれる事はない。

其の存在の悪に早くに気が付けば、本当の意味での幸せを手に入れる事が出来るのだ──






「ちょっと、正親!いい加減にして!」
「え、何が?」

今日もうちの可愛い奥さんは元気だ。

「まだ予定日までは二ヶ月以上あるの!そんなに簡単に産まれないわよ」
「そんな事解らないじゃないか!輝一路の時だってまだ一ヶ月あるから大丈夫だって──」
「だからって、仕事を放ってずっと家にいるっていうのはおかしいでしょう!」
「大丈夫!俺、今産休取ってんの」
「は?」
「うちの会社にもそういう制度取り入れようと思っててさ、臨月の奥さんがいる男性社員も前倒しで産休取れる制度」
「…」
「やっぱり出産の時は夫も付き添うべきだと思うんだよね。俺の経験上、出産予定日二ヶ月くらい前から休んでいいと思うんだ」
「…」
「父さん──社長もさ、いいんじゃないかって検討に前向きなんだ。で、とりあえず俺が率先して産休のデモを──」
「~~いいから会社、行きなさい!」
「わっ、お、怒るな静流!腹の子に障る~~」

二人目を妊娠中の静流は此処最近やたら気が立っている。

「パパとママ、なかよしさんだねぇ」
「! 輝一路、お昼寝から起きちゃったの?」
「静流の声が大きいからだ」
「なっ、だ、誰のせいで~~」
「パパ、マ──あっ」
「わっ、危ない」
「輝一路、ちゃんと前を向いて歩きなさい!」

畳み途中の洗濯物を踏み付け足を滑らせ転びそうになった息子を寸での処で抱きとめる。

もうじき3歳を迎える輝一路はおっとりした子ではあるが、時々信じられない行動に出たりするから目が離せない。

「あははっ、パパぁ~」
「…全く…誰に似たんだこの憎めない性格」
「性格の良さは当然私よ」
「えっ」
「何、其の顏」
「あ、い、いや…」
「パパ、ママ、なかよしさん」
「「!」」

俺と静流の頬に順番にチュッとキスをする輝一路に、俺たちは毒気を抜かれ思わず笑いあった。


子は鎹(カスガイ)とはよくいったものだ。

もっとも仮に子どもがいなくても俺と静流は仲良しな事に変わりはないのだけれど。

「あぁ、本当輝一路には敵わないなぁ」
「ママ、しゅき」
「ママも、輝一路が大好き」
「パパのこともしゅき?」
「うっ…す、好きよ」
「やっぱりなかよしさんだねぇ」

「…」

仲睦まじい二人の姿を見ていると、どうしたって今の静流は幸せなんだろうと思う。

この数年、思慮深く静流を中心に、宇都宮の事を見守って来た。

そして今ではほぼ確信が持てる様になった。

あの時云った兵馬さんの言葉は正しかったのだと。

『いいか、静流を平穏で幸せな一生を送らせたいと思うなら、もう金輪際宇都宮と関わらせるな』

今のUTSUNOMIYAは完全に宇都宮智広の独裁体制の上、好業績をあげている。

彼は長年の宿願を果たした様だった。

もっとも俺自身、仕事絡みでの表面上の浅い付き合いしかないために深層はどうなっているか解らないけれど、静流を完全に宇都宮から切り離した事によって今の平穏な生活はあった。

(真実は全て俺の心の中にだけ──)

其れが俺が下した結論。

全ては静流を守るために、俺は生涯この酷く蝕んだ真実を抱えて生きて行く事になるのだ。


其れはまるで呪いの様だ。


兵馬さんが最後に俺にかけた呪い。


自分が手に入れる事が出来なかったもの、全てを手に入れた俺への、まさに最後の厭がらせだった。

(でも…静流を手に入れるためならこの程度の苦しみ、なんてことない)

独り抱えて行くには辛い真実だけれど、やはり傍に愛する静流、輝一路がいれば其れは耐えられるものなのだった。


「正親、明日はちゃんと会社に行くのよ」
「えぇ~勘弁してよ。俺、静流の傍にいたいよ」
「あ、甘ったれないで」
「ははっ、真っ赤になっている」
「正親!」


あぁ…


今日も静流は元気に怒って、呆れて、笑って


幸せそうだ───





1sil
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